テープ起こしを検証してみる
下がれば上がる、上がれば下がる、は相場の常ですから、不動産の回復に期待を持った人が多かったのは容易に想像できます。
株式や債券の飛ばしの構造にも、こうした期待感が付き物でした。
期待感と期待値とは全く異なるものです。
残念ながら不動産市況は悪化の一途をたどり、こうして不良債権は一挙にその時価を露呈することになります。
それは、簿価から引当金を引いたいい加減な数字とは、天と地が引つくり返るぐらいにかけ離れた数字になります。
こうした数値が不良債権の第三者への売却によって明らかになりました。
教訓を忘れた不動産への集中投資は、想像を超えた爪跡を残したのです。
分散投資絶賛も限度を超えると無駄になります。
やや脇道にそれる話ですが、ある運用担当者が二○カ国に通貨分散する仕組みを説明するのを聞いたことがあります。
通貨分散などは相関関係の深い通貨もあるので五、六カ国やれば十分で、それ以上は分散効果もなく、余計な手間とコストがかかるだけ不利になります。
集中投資の失敗から学ぶべきことデフレ対策という名のもとに円安への流れが形成されつつあります。
為替市場が政治の道具に使われるのは賛成しかねますが、漠然とした期待感や日本の競争力低下という客観的事実に基づいてドルが高くなっていくのは不思議でも何でもありません。
むしろ、こうした思惑や事実を「時価」として反映させるために作られたのが変動相場制なのですから、これは当たり前のことだと言えます。
為替レートが一九七三年以降、日本を苦しめてきたのは事実でしょうが、それはその時点まで被っていた輸出産業の恩恵の源泉が消滅したという話であって、ー方的な被害者意識に立つのは危険だと思います。
ただし、富の蓄積、資本の蓄積といった結果の機関投資家による投資活動は、輸出産業のように一ドル三六○円時代に恩恵を被っていたわけではなく、むしろ変動相場制に移行した後に海外投資が本格化した訳ですから、この為替レートの変動(基本的には円高ドル安の方向です)によって大きく振り回され、為替差損を強いられてきた歴史は否定できません。
為替に戻る機関投資家当時、日米の金利差が三%以上あれば、円をドルに換えて米国債投資をした方がいい、といった根拠の薄い投資実務の教えがありました。
しかし、三%の金利差など、四円程度為替レートが動いてしまえば吹っ飛んでしまいます。
一三○円が○○○円へ動くのは、さして大事件ではありません。
プラスの金利差があると、為替でドルを持っていることにやや安心感があるのは事実ですが、それはディーラーなど短期勝負の話であって、中長期的運用を看板に置く機関投資家が拠り所にすべきではないと思います。
金利を高くして為替レートを防衛する(自国通貨の下落を避ける)というのも、結果的にはそうした短期的に動くお金を吸い付けることであり、本来的な意味でその国への信頼感がなければ、機関投資家のコアのお金は動かないのです。
一九九二年に通貨防衛に失敗した英国の例は、その典型と見るべきでしょう。
さて、日本の直接海外投資は有価証券(株式や債券など)の形で海外へ、特に米国に流れていきました。
米国で三カ月おきに行われる財務省証券入札に、日本の投資家の参加具合が結果を左右するという状況が続き、まさに米国を日本がファイナンスする構図を形づくる基礎工事が始まった訳です。
外資系証券会社はここぞとばかりに日本に進出し、財務省証券だけでなく様々な商品の実際、その損失は国内運用(株式上昇、金利低下)環境によって相殺されたと考えられるのではないでしょうか。
結果論に過ぎないと言われても、運用は口先ではなく結果によって評価されるべきものなので、分散の効いたポートフォリオが奏効したのであれば、海外運用は肯定されるべきでしょう。
ただ、海外運用の際に何を見損なったのか、という反省はあってしかるべきです。
マクロ分析であろうと、テクニカル分析であろうと、’九八○年代におけるドルの大幅減価の可能性を膜ぎ取る能力や、それに備えたヘッジ・シナリオ、ヘッジ対策があったかどうかが問われるべきでした。
当時、国内に十分な運用商品を持たない(今も似たようなものですが)機関投資家は一斉に海外運用を強化していきましたが、為替レートは必ずしもその投資を正当化してくれるように動いてはくれなかったのです。
海外投資も一種の分散投資なので、当時の運用として当然の投資活動だと考えていいと思います。
それで失敗したとしても、その他でカバーできればいいのが分散投資ですから、日本のこの時期の海外投資については経験を得るという意味で評価していいと私は思います。
貿易取引におけるような一円の上下が経常利益を黒字から赤字にしてしまうような為替変動に対しては、企業は相当のコストを払ったり円建て取引の成約に奔走したりする努力が見られたように思いますが、資本取引に関してはこのあたりの意識に差があったように、為替のヘッジ・コストは、オプションなどの技術的発達で縮小してきたとはいえ、大手企業では年間に無視できない規模の負担となっているはずです。
こうした状況で、企業通貨の研究など自衛手段の開発などを行っている企業もありますが、実用化にはいま少し時間がかかるものと思われます。
為替については制度的に見直されるべき時期が近づいているように思いますが、そのような議論が起こる前に、円安の傾向が強まり、再び海外への投資機運が高まっています。
今回の特徴は、個人マネーの海外進出が顕著であるという点でしょう。
一九八○年代に世界を閏歩した日本の外貨建て運用は、一九九○年代の国内回帰の反動を経て、二一世紀のいま、機関投資家から個人投資家に主役を変えて再び注目を浴びようとしています。
一方の機関投資家も、再度為替益と金利差を取りに海外へ投資すべきか否か、かなり難しい決国内運用においてか国債など常識的にはこれ以上金利は下がることはないと思われる資産を大量に保有しつつ、さらに外債運用などを行えば、両方で損失という可能性が否定できないからです。
個人のポートフォリオには、金利に敏感な資産などほとんどないでしょう。
金利が上昇して困るのは、間違いなく固定利付の低金利商品を大室に保有している機関投資家です。
円安になれば日本の長期金利が上昇する可能性があります。
そうであれば、いまのうちにドルを買って運用しておけば、’八○年代の逆、つまり海外資産での益で国内資産の損を埋める、ということが期待されるかもしれません。
これは一つの選択ですが、それ以外にも一九八○年代には存在しなかった国内運用への道を自ら開拓する必要があるのではないか。
確かに個人が国内のペイオフや○・○一%という預金金利に愛想をつかしてドルやユーロに流れるのは理解できます。
これも本能的分散投資の表れであると言えるからです。
しかし、機関投資家がいま海外への運用を強めることがいいのかどうか。
外債投資が防衛的な戦略であるのは正しいと思いますが、それを収益源と見なすのはかなり危険だと思います。
ユーロの導入によって、欧州の信用リスク市場が発展したことは前に述べました。
いま、日本の機関投資家が学ぶべきはその姿ではないかと考えます。
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